■ 小学生編 第一話「出会い」
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 夕暮れの浅い光差しを背に受けながら、三島恭司は今日も富士山公園へ向かう。
 市内でも有数の広さを誇るこの公園は、近所に住む子供達にとって絶好の遊び場だ。
 今日も恭司が着いた頃には、多目的広場に六つ置かれているサッカーゴールの近くですでに多くの子供達がサッカーボールを蹴り合い、走り回っていた。
 その様子を見て、急き込んで自転車置き場に向かうと、サッカーボールを抱えた山岸良寛が仁王立ちして待っていた。
「おせーぞ、三島。もうサッカーコート全部取られちゃったぜ」
「ごめん、山岸。宿題終わらなかったんだ」
 弁解しながら、急いで自転車を降り、山岸の元へ走る。
 山岸は、口をとがらせながらグラウンド内に目を転じた。
「宿題なんか遊んだあとでやればいいだろ。なんで学校かえってすぐやるんだよ」 
「すぐやらなきゃ母さんに怒られちゃうんだ。この前のテストちょっとひどかったし」
「そんなん大した事じゃないじゃん。俺なんかこの前零点だったんだぜ」
 まるでその事が自分の誇りであるかのように、山岸は胸を張る。
「だいたいおまえん家厳しすぎ。一回くらい零点とったって普通許してくれるぞ」
「確かに山岸の家なら許してくれるかもね」
 恭司は、肩をすくませた。僕も山岸のように普段からひどい点ばかり取っていれば、こんな目にあうこともなかったんだろうか。
「まあいいや。遅れちゃったもんはしょうがねえし。俺、これから原田達んとこいくけどお前も来るよな?」
 先程までとはうって変わって、山岸は快活な笑顔を浮かべる。
 恭司は感情の切り替えが素早い山岸の性格に心底感謝したが、その口から出た原田という名前を聞いて、眉をひそめた。
「原田のとこ行くの? なんで?」
「なんでって、誘われたからだよ。今日人数足りないから一緒にやらないかってさ」
「ふうん」
 原田の姿をゆっくり思い浮かべてみる。
 坊主頭と、小学生にしては大きな体格。常に数人の子分のようなやつらを従え、学校を大股で歩きながら、周りの人間を威嚇している。そんな人間が山岸のように明るく、スポーツ万能な目立つ存在と、恭司のようなクラスの中でも目立たない、どちらかというと弱いものに分類される普通の少年のどちらを相手にし、どちらを玩具とするのか、そんなことは深く考えずともすぐ答えがでた。
「僕はいいや。今日はひとりで遊ぶよ。ごめんな、遅くなって」
「えっ? そっか、んじゃ俺もやめよっかな」
 山岸は、恭司と違って原田に苦手意識を持っていなかった。
 どんな人間にも分け隔てなく接し、仲良くなろうとする。それが山岸という人間だった。
「いいよ。山岸は行ってきなよ。僕なら平気だから。僕が遅れたのが悪いんだし」
 一人になるのが寂しくなかったわけでもないが、自分のせいで山岸と原田の関係が悪くなるのも憚られた。
 山岸は少しの間逡巡しているように俯いていたが、顔を上げると、一つ頷き、恭司に向かって頭を下げた。
「じゃあ、俺行ってくるわ。また明日な、三島」 
「うん。また明日」
 グラウンドへ向かう山岸に向かって、大きく手を振る。 
 山岸の姿が見えなくなると、恭司はぐるっと公園の中を見渡した。
 富士山公園にはシーソーやのぼり棒のような簡易な遊具のみならず、入り組んだ巨大なジャングルジムやローラー滑り台のような、学校ではお目にかかれない遊具も設置されていた。それらのほとんどはすでに先客の子供達によって使われていたが、遊具群からかなり離れた位置に独立して設置してある二組のブランコには、誰も乗っていなかった。 
 恭司は、そのうちのひとつに積もっている砂を払い、尻をついた。無機質な冷たさを感じながら、ゆっくりと前後にこぐ。立ち乗りの方がおもしろいことは知っていたが、一人ではそんな気分にもなれないので、座り乗りで遊ぶ事にした。
 一日の終わりを告げようとする橙色の光が恭司の姿を照らし、地べたに細長い影を作りあげる。
 影は揺れ幅に合わせて伸縮を繰り返しながら、いびつに形を変える。しばらくの間、恭司はなんとはなしにその動きを目で追うことに集中していた。だから、いつの間にか無人であるはずの隣のブランコの影が、人型を模って伸びていることに気がつかなかった。
「遊ぼ」
 聞き取れないほど小さな声が、隣のブランコから聞こえてくる。
 突然現れた影に驚きながら、となりのブランコに顔を向けた恭司は、思わず目を見開いた。

 そこには、ぼろぼろのピンク色のワンピースを着た、一人の女の子が座っていた。
 少女の身長は恭司と同じくらいだったが、手足が細く、貧相な体つきをしている。
ぼさぼさに伸ばされた黒髪は腰に届くほどであり、全く手入れされていないのか、つやが確認できない上に、ところどころ枝毛がはねていた。おまけに前髪まで長いせいで表情がまったく確認できず、かろうじて伺い見えるのは、色素の薄い唇と片目だけである。しかもその片目すらガラス玉のように虚ろなため、なんの感情も読み取れない。
 まるで映画に出てくる女の幽霊みたいだ、と恭司は思った。なんなんだ。この子は、一体誰だろう。
「一緒に、遊ぼ」
 唖然としている恭司の目を、光沢のほとんどない黒々とした瞳で見つめ返しながら、少女は再び口を開いた。
 錆びついた鉄鎖がたゆたい、地に広がる影が揺れる。
 恭司は、「えっと」とか「んと」などとごまかしながら、この場から逃げ出す方法を思案した。
 走り去って駐輪場まで行けば、自転車がある。駐輪場まではすぐだし、そもそも、追ってくる事もないかもしれない。
 だったら、このまま……。
「一緒に……」
 恭司がブランコから立ち上がりかけたその時、少女の声が、さらにか細くなった。少し嗚咽が混じっているようにも聞こえる。
 少女はうなだれながら、小刻みに肩を震わせていた。泣いている。少女の表情は見えなかったが、さすがに恭司も、それは読み取る事ができた。
 胸の中に、もやもやとした罪悪感が募る。見ず知らずの女の子に突然声をかけられた上に、いきなり泣かれてしまった。どうして、僕がこんな目に会わなきゃいけないんだろう。
 逃げ出す気にもなれなくなった恭司は、仕方なく再びブランコに座りなおすと、地面をゆっくりと蹴り上げた。
 それを見て、少女も自分のブランコをこぎだす。
 夕焼けに照らされて、二つの小さな影が、ブランコの影に重なったまま、地面の上で細長くのびたり縮んだりし始めた。 
 恭司はしばらく無言のままブランコをこぎ続けていたが、やがて沈黙に耐え切れなくなり、勇気を振り絞って少女に声をかけた。
「あの、僕、三島恭司っていうんだ。君は?」
「私、川添悠里。かわぞえ、ゆうり」
 悠里と名乗ったその少女は、相変わらずぼそぼそとした声で答えた。その声にはもう嗚咽が混じっておらず、恭司は少しだけほっとした。
「ゆうりか、珍しい名前だね。どこの学校?」
「この公園の近く。あっちの学校」
 ブランコをこぎながら、悠里は公園のすぐ真南の方面を指差した。その方角には、恭司も通っている小学校がある。
「僕と同じ学校なんだね。何年生?」
「四年生」
「学年も同じなんだ。何組?」
「四組」
「僕、三組。廊下ですれ違ったりしてたかな? 僕の事知ってたの?」
 悠里は、大きく首を横に振った。長い黒髪が獅子舞のようにぱらぱらと揺れる。
「じゃあ、なんで僕に声掛けてきたの?」
「なんとなく」
 予想外の回答に、恭司は少し面食らった。この子のちょっとした気分のおかげで、僕はこんな思いをする羽目になったのか。
「でも、こんなに長く私と一緒にいてくれた人、初めて。ありがとう。楽しかった」
 そう言うと、悠里はブランコをこぐのを止め、ひどく緩慢な動作で立ち上がった。
「もう帰るの?」
「うん。そろそろ帰らないとママに見つかっちゃうから」
 その言葉に、恭司はなこか引っかかるものを感じた。見つかってしまうとはどういうことだろう。怒られる、ならまだわかるが……。
「そうだ、お礼あげなくちゃ」
 悠里は、ブランコに座ったままでいる恭司の前に移動すると、ワンピースのポケットに手を突っ込み、白い包装紙に包まれた小さな飴玉をひとつ取り出した。
「これ、あげる。遊んでくれたお礼。本当にありがとう」
「い、いいよ。こんな……」
 遊ぶといっても、一緒にブランコに乗り、ほんのわずかな会話をしただけだ。たったそれだけでお礼をもらうなんてこと、できるわけがない。
「ううん。もらってほしいの。おばあちゃんがいつも言ってたから。親切にされたらお礼をしなさいって。それに、本当に嬉しかったから。ごめんね、こんなものしかなくて」
「いや、だけど」
 恭司は、悠里の顔を見上げた。
 笹のように垂れ下がった、長い前髪の隙間から見える大きな目が、細長く湾曲を形づくっている。
 笑っている。恭司にはそう見えた。もしかしたら、この子は今までずっと……。
「じゃあね。バイバイ」
 悠里は、恭司に背を向けると、小さく手を振りながら公園の出口に向かって走り始めた。
 その姿は、恭司が小学校でよく見る女子達となんら変わりがない。
 先程まで恭司の影と重なっていた悠里の影が、どんどん離れていく。
 何故だかそれが妙に寂しくて、気づいた時には、恭司は悠里に向かって叫んでいた。
「川添さん、僕、明日も来るから、だからまた、ここで話そう。バイバイ」
 悠里の姿が見えなくなるまで、恭司は大きく手を振った。
 自分の声が悠里に届いたかはわからない。明日、悠里が公園に来るのかもわからない。
 だけど、自分はもう一度この公園に来よう。そしてまたブランコに座ろう。
 悠里から貰った飴玉を握り締めながら、恭司は強く、そう思った。














9月13日(木)晴れ

 今日、公園に行ったら、きょうじ君っていう男の子に会った。
 学校の外でお姉ちゃん以外の人と、あんなにしゃべったのは初めて。
 もしかしたら明日も会えるかな。会えるといいな。
 明日も公園に行ってみようっと。
 今日はママにもあんまりぶたれなかったし、外で遊んでいたこともばれなかった。
 すごくいい日だった。明日もこんな日でありますように。 おしまい


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